2013年4月6日土曜日

大きい会社に入ってみたかった。
なんか東京っぽいことに憧れていた、中学生の頃。

なんとなくその夢が頭の片隅にあって、
転職を繰り返しようやく会社勤めのおふぃすれでぃー。

こんな年にして初めて研修やらなんやら受けて、思った事は、
この3年、私が苦悩して辿り着いた答えが5日間に詰まっていた。
もしも子供を産んだら、まずは会社勤めを 薦めよう。

結果、デザイナーは私含めて3人とかいう今までとあんまりかわらないのでは?
状態だけど、人がいるって、やっぱりいいなあ。

「どうやって勉強したんですか?」
って上司に質問したら
「え?好きでしょ?」
みたいなこと言われて、なんだか大切な事忘れてた。
ってことに気がついた。
今年はどこまでも飛んでやる!

2013年3月24日日曜日

MARCH, SUNDAY



たっぷり寝た休日のブランチは、伊東にロケで行った時お土産に買った腸詰屋の粗挽きソーセージと、ふわふわの黄色いチーズオムレツ。

新しいマスタードイエローのワンピースを着て展覧会に出かけ、久々に張った湯船にはオレンジイエローの入浴剤を。暖まった体を拭いたのは北欧産のイエロータオル。夕食にパスタを湯がいて、金色のビールを飲みながらゆっくりと未来についてでも考える。

4月に何もかも新しくなるのは気分がよいことだ。だけどとても不安で、そんでもって楽しみ。嗚呼複雑。人生には必要な事だけが起こるはず。だから、とってもとっても良い事なのだ。

2013年2月12日火曜日

JUDY AND MARYを聞いたから

最近、よく昔の事を思い出す。
私の記憶はほんとう、都合よくて、
あんまりなんにも覚えていないけど、
夢みたいだったことに限って覚えている。

まず、小学校4年生くらいまで、毎年夏になれば琵琶湖パラダイス(遊園地とプール、ホテルが備わった総合施設。悲しくも小学校の間に閉園。)に行っていたこと。
そこで両親の友人を弔うために琵琶湖に日本酒を流したり、
 なぜか野外スクリーンに放映されていた映画を家族で車から眺めていたこと。
そこでミニ四駆の大会があって、改造に改造を重ねた私の機体は軽すぎてカーブを曲がれなかったこと。
誰とも分からない歌手が、パジャマ姿の多い宿泊客が集うホールのステージで美空ひばりの「川の流れのように」を歌っていて、当時ですら「嘘みたいだな」と思ったこと。
子供の頃、芸術において褒めちぎられていた私は、ガラスビーズで作るこださいペンギンのキーホルダー作りに夢中になりすぎて、周りが静まり返っている時間になったこと。

幼稚園−
朝の挨拶の歌の時間、雅子さまの真似をして怒られたこと(だって昨日のニュースの雅子さまの挨拶の様子があまりにも優雅だったから。)。
教室から見た叡山電鉄の線路に栗がたくさん落ちていたこと。
森と林の漢字について(夏生まれの大っ嫌いな幼なじみに枝で書きながら教えてもらった
。)。
しきりにうさぎになりたがって、鳴き声を聞かれて「ぴょんぴょん」と有り触れた嘘をついたこと。
 お父さんの車はいつもJUDY AND MARYがかかっていて、意味も分からないけどおしゃれだと思った。
母のたまに作るバナナケーキ。(アメリカ仕込み。)

小学校-
最初に住んでいたマンションの大家さんの庭で、草むしりしすぎて球根を抜いたこと。(そのまま何事もなかったかのように土に戻す。)
痴漢とカミキリムシに同時にあったこと。(怖すぎて何も覚えていなくて、被害届を警察に出しにいった時、犯人の服の色を聞かれても何も思い出せなかった私に、警察の人が言った「鶯色だった?」はあまりにも衝撃。)
海に行くときはシャ乱Qを聞くのがお決まりで、私の中のFAVORITE SONGが「ラーメン好きな小池さん」になっていたこと。
捕まえたバッタを翌日裏庭に話したら、不本意なほど勢いよく跳ねて消えたこと。
弟が寝た土曜日の夜中12時過ぎに、両親とパーティーと称してコンビニのお菓子を食べていたこと。(紅茶とイモケンピが大人だと思っていた。)
夜中にふすまを開けると母がタバコを吸っていたこと。
風邪をひいて寝込んでいた時に与えられたのが吉本新喜劇と、ポカリスエットとグリコ、なんだか分からないカセットテープだったこと。

幼なじみと母と行ったスケートで、夢中になって母が転倒して頭から血を流したこと。(その後私はずっとバーチャファイターのゾーン2!と歌いながら滑り続けた。)
ビスケットの上にピラミッド型に作られたチーズケーキ。(当時与えられたお菓子の本で最高におしゃれだと思っていたもの。
お菓子を作るのが好きで、何時間もかけて作ったクッキーを一口で食べた家族。
クッキーに辛子を入れたらお父さんに褒められたこと。(ちゃんと漫画のワンポイントアドバイスに従った行動です。)
母の焼き飯。(味は醤油かケチャップ、ソース、納豆と選択できる。なんだそりゃ。)
 今親友とも言える子から「辻本派」か「内田派」(吉本クリエイティブエージェンシー)でもめていじめられたこと。

今の実家の一つ前のお家に引っ越す直前に、自分の部屋になる予定の畳に寝そべったこと。
亡くなった祖母がフグを持ってその家にやってきたこと。
土曜日は父にお弁当を作ってあげていたこと(友人がのり弁〈当時のお弁当史上最高におしゃれ※私の中で〉という言葉を私に吹き込んでから、ポケモンを見るのも惜しまず作り続けた。)。
お化けが本当に嫌いで、ジュラシックパークを見た後すら、2階にある自分の部屋に恐竜がいたらどうしようと真剣にテンパって、弟と手をつないで部屋まで行ったこと。
庭にいた大きな蜘蛛のこと。
向いに住んでいた独り身のタクシーの運転手さんとの会話。(バレーボールをよく飛ばしたけれど、怒るどころか微笑んでくれた。)


まだまだ、17の頃すら夢に思えるくらい記憶がふわふわだけれど、
私を作った全てのものが、
少し変わっていたとしても、
愛に包まれて、幸せだったんだなあ、と、
最近本当によく思う。
みんな、みんなありがとう。

うらめしくも、ありがたくもある、
家族には1番感謝の意を捧げたい。

2013年2月10日日曜日

1月5日に幸福のベルを買った

死ぬほどやるより、何よりも大切なのは理解することだ。

世の中には理解できたつもりでいても、そうでないことが驚くほどに多くて、それにすら気づかない人も大勢いる訳で。限界を超えた先に何があるのかは分からないけれど、脱皮出来ずに諦めてやめてしまう人もたくさんいる。脱皮の作業を苦に思わない人に憧れて、自分は大丈夫、と訳の分からない盾でがんじがらめにして、学ぶ努力をしたふりをしていただけ。自分が自分でいることがあまりにもぎりぎりで、周りを見る努力なんてできていなかった。いや、できていない。それが自分で口に出せるだけましだ、と思えるようになるには時間がかかったけど、それからあまりにも事がうまく運ぶ。自分をつくるものは自分でしかないのだから、自分が未来をしっかりと、幸福になるように想像しなくてはいけない。聞く事と、知る事と、思う事と、理解する事、話す事は大いに違う。

私はたぶん、30までは東京にいるんじゃなくて、30は東京にいる。 たぶん、絶対に。外国に行けたらそれはそれで嬉しいけれど、やっぱり東京はおもしろい。

私は東京の面白さを、地方にちゃんと循環させる仕事がしたい。

2012年10月21日日曜日

野外で放映している映画を車の中から家族で見た夜
















会場を探すのに1時間。
ビルの間に間に、あるはずもないところを探しまわり、
ようやく見つけた古びたビルのちょっとこわいエレベーターの先にある
素敵なお部屋。

横浪修さんの作品の中で一番好きかも。
何度だって見たいな。素敵。



いろいろビックリした。最後、自然に涙が出たw



2012年9月8日土曜日

some night

すごく嫌でも
乗り越えなければ新しい景色には出会えない

2012年4月20日金曜日